Vol.6 【2004/12/17】
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バレエをこよなく愛しバレエの素晴らしさを日本に根付かせた方
『日本バレエのパイオニア・谷桃子先生』
谷桃子先生 -谷桃子バレエ団-
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今回ご紹介いたしますのは、日本バレエ界の歴史を創られた大スターバレリーナ谷桃子先生です。
谷先生は戦時中も慰問公演で踊りを通じて廃墟な人々の心に灯りをともし続けていらっしゃいました。
今、日本で活躍するバレリーナたちのほとんどは谷先生の教えを受けています。Kカンパニーの熊川哲也さん、英国ロイヤルのプリマ吉田都さん他現代の多くのスター達は谷先生の目黒のお稽古場で汗を流しました。今回は私が尊敬してやまないバレリーナ谷桃子先生にお話をお伺いした模様をお届けいたします。
【マダム】
本日は大変お忙しい中、お時間を作っていただきましてありがとうございました。本日はどうぞよろしくお願いいたします。来月(2005年1月27,28日)の新春公演「ジゼル」はとても楽しみです。
「日本のジゼルと言えば谷桃子」と言われるくらい、多くの方が谷先生のジゼルの舞台を観て感動したと聞いております。谷先生のジゼルはたいへん素晴らしく、格別だったと・・・・。実は先日あるバレエの舞台公演でたまたまお席が隣だった方が、実は昔、谷先生の舞台で一緒に踊られた方だったのです。偶然ですが大変驚きました。その方も仰られていました。
谷先生のジゼルは本当に素晴らしくジゼルが愛するアルブレヒトに裏切られ狂乱死するシーンを演じていらっしゃる谷先生を見て舞台で一緒に踊っている人たちも涙を流していたんですよと。
ジゼルの作品は谷先生も一番お好きな作品と伺っておりますが、その理由をお伺いしたいと思います。
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引退公演 『ジゼル』
東京文化会館にて(昭和49年)
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【谷桃子先生】
まあ、そんな出逢いがあったのですか・・・。(笑)
ジゼルはロマンティックな美しい作品で純愛ものです。アルブレヒトという男性を黄泉の国まで愛する永遠の愛がテーマです。
純粋な心で愛を語るジゼルがすきですねえ。
私はいつもジゼルそのものになりたい、ジゼルになれたらいいなあと思っておりました。
【マダム】
先生はジゼルの公演をどのくらい踊られましたか?
【谷桃子先生】
200回ぐらいだと思います。
【マダム】
200回ですか・・・・。年間20回として、ジゼルだけでも10年間踊り続けていらっしゃったことになるけですね。谷桃子バレエ団の「ジゼル」の魅力をお伺いしたいのですが。
【谷桃子先生】
体が弱くても可愛らしい愛くるしい少女のようなジゼル。アルブレヒトへの一途の愛を貫き通す美しい心の表現ができたらと・・。難しいですけれどねえ。
一幕は人間のジゼルの心の移り変わりをドラマティックに。そして2幕は妖精になってしまったジゼルの幻想の世界、妖精のような「軽さ」を出せるようにしています。無理に飛ばなくてもまるで飛んでいるように、上体を使って軽さを出せるようにしています。アラベスク(片足で立ち、もう一方の片足を後ろに伸ばしたポーズ)ひとつの動きでも「悲しいアラベスク」「元気なアラベスク」を表現できるようにするには上体の使い方が大切ですねえ。そんなところを観ていただければと思います。
「バレエを通じて人間的に成長していって欲しいです」
【マダム】
バレエの教育で谷先生が一番大切にしていらっしゃることは何ですか。団員の方々、生徒のみなさまに望んでいらっしゃることは何ですか。
【谷桃子先生】
バレエというものは「美しさ」というものを教えてくれます。ですからバレエを通して人間的に成長していって欲しいです。「美しい心」に・・・・。
舞台では舞台の袖に入りきった先まで心をもって行って欲しいですね。
【マダム】
谷先生がご指導されている舞台は、本当に丁寧でひとつひとつの動きに「心がここにある」という感情が感じられます。そして団員のみなさまの踊りは感動のエネルギーで満ちあふれています。舞台の端から端まで細部に渡り心が行き届いている舞台です。本当に素晴らしいです。
「大好きだったバレエを一度やめようと思ったときがありました。」
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谷先生パリ留学時
オペラ座の前にて(昭和29年)
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【マダム】
谷先生はフランス・パリの留学をされたのはいつごろですか?
【谷桃子先生】
あれは昭和29年のときです。一年間パリ留学をしました。
オペラ座でバレエを観たときは何もかも美しく、本場のバレエを初めて観てショックを受けました。あの頃は今の時代のようにビデオもありませんし、日本でバレエを勉強するのは大変なことでした。自分の目で見て勉強するしかないわけです。毎日オペラ座に通って天井桟敷に上って音楽の取り方、動き方を書き留めました。
そのときですね、ああ私にはバレエは無理と思いまして、辞めようとおもいました。あまりにも日本と違いすぎましたから。その時、マルセルマルソーでパントマイムを観ました。
それで、私にはバレエよりもパントマイムの方が似合うのではと思い、本気でパントマイムをしようと思いました。悩みながらノイローゼ気味になって帰国しました。バレエを辞める決心をして帰国したのですが、皆が私の帰りをまっていました。母に励まされ、皆に励まされ応援されたので続けようとおもいました。その帰国した年に谷桃子バレエ団の全幕「白鳥の湖」が公演されました。
「バレエは生き甲斐です。
踊りがなくなってしまったら自分がなくなってしまうほどです。」
【マダム】
最後にひとつお伺いしたいのですが・・・。谷先生にとってバレエはどのような存在でしょうか。
【谷桃子先生】
バレエは生き甲斐です。踊りがなくなってしまったら自分がなくなってしまうほどです。バレエに接する毎日がなかったらふぬけの皮なっていたでしょうねえ。バレエ(踊り)しか出来ない私なので。
今はもう足は動かないけれども、心の中では動き踊っています。お稽古場で音楽を聞くと心と身体が動き始めるんです。
【マダム】
伺っているだけで谷先生がお稽古場で全身全霊をバレエに捧げて指導していらっしゃるご様子が目に浮かびます・・・・。谷先生、本日は大変お忙しい中、貴重なお時間を作っていただきまして本当にありがとうございました。
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谷桃子バレエ団お稽古場にて(目黒)
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インタビュー中もお稽古場からジゼルの音楽が流れていました。お話のあとすぐにお稽古場にお戻りになられた谷先生は今でもジゼルそのものでした。穏やかでお優しく気品のある雰囲気が多くの方の心を捉えて離さなかったのでしょう。今回谷先生は、「ジゼル」公演前の大稽古の中、たいへん貴重なお時間を作って下さいました。快くインタビューをお引き受け下さった谷桃子先生に心より感謝を申し上げます。
※谷桃子バレエ団オフィシャルホームページはこちらから
http://www.tanimomoko-ballet.com/
バレエ団名 |
谷桃子バレエ団 |
代表 |
谷桃子先生
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所在地 |
〒152-0031 東京都目黒区中根2−21−27 
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連絡先 |
TEL:03-3717-7806 FAX:03-3717-0344
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谷先生プロフィール |
1921年兵庫県姫路市生まれ。文化学院卒業。
石井小浪、小牧正英に師事。
【主な出演】
小牧正英作品「パガニーニの幻想」。
同日本初演の「コッペリア」、「白鳥の湖」。
振付・谷桃子バレエ団「火の鳥」日本初演、「ジゼル」。
「リゼット」、「ドン・キホーテ」、「バヤデルカ」、「シンデレラ」。
(以上4作品スラミフ・メッセレル先生振付)
1949年、谷桃子バレエ団設立。
1954年、パリ留学。
外国公演は、キューバ・バレエ・フェスティバル。
【主な審査員】
モスクワ国際バレエ・コンクール、ローザンヌ国際バレエ・コンクール、東京新聞バレエ・コンクール、日本・世界バレエ・コンクール、全日本バレエ・コンクール、東京新聞ミス東京コンテストほかの審査員。
【主な受賞歴】
文化庁芸術祭奨励賞('63)、東京新聞舞踊芸術賞('72)、橘秋子賞特別賞('75)、舞踊功績賞('75)、紫綬褒章('84)、勲四等宝冠章('93)
【主な役職】
谷桃子バレエ団主宰。
社団法人日本バレエ協会会長、全日本舞踊連合理事。
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